住職・寺族紹介

等覚寺・家族写真99歳まで66年間住職を務めた先代から、孫の朝倉創が2014年4月に引き継ぎ18代目住職となりました。
住職副住職の兄弟二人で、お参りしやすく敷居の低いお寺を目指しています。
兄弟はよく似てると言われますのでぜひ一度ご覧になってみてください。笑

等覚寺の由緒

等覚寺・家系等覚寺の山号を勝龍山といいます。寺伝によると越前(福井県)の城主、朝倉弾正(だんじょう)日下部貞景朝臣(あそん)の次男、右兵衛尉(うひょうえのじょう)景隆嫡男(ちゃくなん)の左兵衛尉勝龍が出家して天台宗の学僧となって一宇を建立したとのことです。
当寺開基の慶専師は本願寺十二代教如上人の指導で東本願寺に転宗し、十三代宣如法主(ほっす)が東国に下向の際、伴従して当地に下り、慶長四年(1599年)江戸京橋に一万坪の寺領を拝領して中興しました。
宣如上人より本尊並びに勝龍山等覚寺の号をうけ賜りました。
明暦三年(1657年)振袖の大火で類焼し、上野下寺町に三千坪を賜り移るも、元禄十一年二月(1698年)現在地に移り堂宇を再興、当地においては草分け的存在で、等覚寺門前町開けたとあります。

等覚寺・本堂落慶法要大正十二年(1923年)九月一日の関東大震災にて堂宇全焼し、十六代住職の朝倉湛玄、坊守綾子鋭意再建に努力し、昭和四年~五年にかけて入母屋造りの純木造建築にて本堂・庫裏を完成しましたが、昭和三十八年(1963年)十二月十九日に漏電のため本堂のみ焼失してしまいました。
十七代住職の朝倉馨(現住職)、本堂再建に着手し壇信徒の特別な懇志、支援により昭和四十二年(1967年)七月に鉄筋コンクリート二階建て(階上本堂、階下座敷、茶室、応接間等)の現本堂が完成。
昭和四十三年(1968年)五月に落慶法要を盛大に厳修して仏恩に報いたのです。

等覚寺の紹介

等覚寺の紹介

真宗大谷派 等覚寺

  • 住所
    東京都台東区元浅草2-10-17
  • 電話
    03-3841-2844
  • FAX
    03-3841-2922
  • MAIL
    info★tokakuji.com
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  • アクセス
    東京メトロ銀座線 稲荷町駅から徒歩2分
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    都営大江戸線 新御徒町駅から徒歩8分
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